第3回イタリア語による日伊特別セミナーご報告

こんにちは。日伊協会の押場です。
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9月14日(土)、青山教室の石川記念ルームにて、日伊特別セミナー”Word-surfing – Navigare tra le parole”-  『ワード・サーフィンー言葉の海を航海する』のご報告をさせていただきます。
それにしても、面白いセミナーでした。いや、前の2回が面白くなかったというのではありません。ヴィオレッタ先生の「イタリア料理の歴史」にしても、ヴァレーリオ先生の「日伊文化交流の歴史」にしても大変興味深いものでした。ただ、今回のリヴィオ・トゥッチ先生によるセミナーは、なんといっても「イタリア語の歴史」という内容。イタリア語講師を仕事にしているぼくにとっては、実に興味深いテーマでした。
まずこのセミナーの特徴は、なんといってもネイティブの先生から直接にイタリア語でお話が聞けるところにあります。それも、ただのお話ではありません。先生方がご専門の分野をわかりやすくまとめた講義になっているとろがポイントです。留学をすれば別ですが、日本でイタリア語の講義を聴けるなんて、ちょっと貴重な機会なのではないでしょうか。

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セミナーの特徴はもうひとつ。イタリア語がわからない方や、自分の語学レベルはまだそこまでではないとご心配の方のために、同時通訳のサービスが提供されていること。じつはこれ簡単なことではないのです。これを提供するためには、ホテルや国際会議場などでそれなりの設備があるところでなければならないのですが、協会の石川記念ルームには小さいながらも独自の同時通訳ブースがあるのです(ちょっと自慢できることだと思います)。
でもそれだけではありません。この同時通訳サービスが、日伊協会の受講生の方によって行われているということも、ちょっとした特徴なのです。受講生とはいっても、みなさんプロ通訳養成講座の受講生の方々。事前の準備は万全。で、もちろん、まだまだ至らないところもありますが、将来プロとして活躍するために、このようなセミナーはじつに貴重な経験の場となっているのです。

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おっと、少し前置きが長くなってしまいました。話を戻しましょう。
今回のセミナーは、司会がわたくし押場靖志がつとめ、最初に日伊協会山田和彦専務理事から、続いてセミナー企画にあたったリッカルド・アマデイ講師から挨拶があり、いよいよ講師のトゥッチ先生の登場となります。先生、早稲田大学、慶応外国語学校などでも教鞭をとっておられますが、日伊協会では総合講座を中心に、「イタリア語の歴史」や「発音」などを担当、新しい初級テキスト「Benvenuti! 」の作成でも中心的な役割をはたされた、いわばイタリア語教育の専門家です。
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そのセミナーのタイトルは「ワード・サーフィン」。もちろんこれはネット・サーフィンにかけたものですが、インターネットが情報の海なら、言葉の向こう側にも大きな海が広がっているぞ、という含意があるものですね。ですから、トゥッチ先生のお話には「 言語の海を航海する」という副題がついているわけです。
さて、そんなトゥッチ先生、次の4つの疑問からお話を始められました。
1)「イタリア語」とは何か?
2)いつ生まれたか?
3)誰が話すか?
4)どうしてこんなに複雑なのか?

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おもわず「え?」と思うような疑問ではないでしょうか?ぼくたちだって「日本語とは何か?」とたずねられたら、おもわず「日本語は日本語だよ」なんて答えたくなりますが、その実、よくわかっていなかったり
しますよね。イタリア語も同じです。じつは「イタリア語」というのは、ずっと昔からあったものでもあり、ごく最近そう呼ばれるようになったものでもあるのです。それをトゥッチ先生は、「古くて若い言葉」というように表現されています。なんだかわからなくなってきませんか?
そうなのです、イタリア語が「古くて新しい言葉だ」という意味を知るためにも、第2の疑問「いつ生まれたか?」があるわけですね。けれども、この質問に答えるためには、イタリア語を2つに分ける必要があります。「書かれたイタリア語」と「話されたイタリア語」ですね。
書かれたイタリア語」の起源は、残された碑文などを調べると、およそ8世から11世紀のころに求めることができるそうです。日本でいえばほぼ平安時代でしょうか。ところが当時この言葉は「イタリア語」ではなく、「トスカーナ方言」あるいは「俗語」と呼ばれるものだったのです。そして、皆さんご存じのように、この「俗語」を用いて、すばらしい文学作品を書き上げたのがダンテ、ペトラルカ、ボッカッチョなどの文人たちでした。このすばらしい「書かれた俗語」が、やがて「書かれたイタリア語」として「イタリア語」の基礎になっていくというわけです。
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ところがここでもまた、「え?」と言いたくなりますね。
そうなのです。そこで第3の疑問「誰が話すのか?」になります。後に「イタリア語」となる「トスカーナ方言」を話していたのは、もちろんトスカーナ地方に住む人々です。やがて19世紀になってイタリアが統一されると、この「トスカーナ方言」は「イタリア語」となってイタリアの国民が話す言葉になって
ゆくわけです。それまでのイタリアの各地では、さまざまな俗語(ミラノ方言、ヴェネツィア方言、ナポリ方言、シチリア方言など)が話されていましたから、誰もが「イタリア語」(つまり「トスカーナ方言」)を話せるようになるには時間がかかります。そしてその普及に大きな役割を果たしたのが、20世紀初頭に普及した新聞やラジオ、そして第2次大戦後のテレヴィジョンでした。こうした新しいマスコミュニケーション技術によって、イタリア語=トスカーナ方言は、国民語としてイタリア人の誰もが理解し、話せるような言語になっていくわけです。その意味でイタリア語は「若い言語」だと言えるのです。
一方で「イタリア語は古い言語」でもありました。あのダンテ以前にトスカーナ地方で話されていた言葉(トスカーナ方言)は、いったいどこから来たのでしょうか?ここに第4の疑問「(イタリア語は)どうしてこんなに複雑なのか?」。もちろん、トスカーナ方言は俗語と言われるように、ラテン語が崩れてできたものです。そしてイタリア各地にある他の方言(俗語)もまた同様です。ということは、イタリア語が複雑なのはラテン語が複雑だからでしょうか?
どうやらそれだけではないようです。なにしろラテン語には、地中海世界に入って来た様々な言語が流れ込んでいます。ラテン語を話していたラテン人の前には、エトルリア人がエトルリア語(未だに完全に解読されていない謎の言語のひとつ)を話していましたし、ギリシア語からも大きな影響を受けています。さらに、個々の言葉を遡っていくと、インドで話されたサンスクリット語の影響や、アラビア語の影響も受けているのです。
トゥッチ先生は、ひとつひとつの単語を挙げながら、こうした影響関係を説明してくださいましたが、ここでは省略させてください。興味のある方は、ぜひ、トゥッチ先生の講座を受講ください。イタリア語という言語の向こう側にひろがる、広大な言葉の海を実感していただけるのではないでしょうか。
講座の最後には、詩人、小説家、そして映画監督としても有名なピエロ・パオロ・パゾリーニがイタリア語について語るインタビュー。3分ほどのそのインタビューは、まさに複雑な歴史を持つイタリア語へのオマージュとも言えるものでした。
そんな壮大なイタリア語の歴史をめぐるセミナーが終わり、質疑応答では、次々と手があがり、なかにはトゥッチ先生を困らせるような質問も。最後には、先生を囲んでの懇談会。なごやかな雰囲気のなかで、今回のセミナーも無事終了となりました。
ご参加のみなさん、通訳のみなさん、そしてトゥッチ先生、ありがとうございました。