昔のキリスト教国では、死者は土葬に決まっていた。これは、この世の終わりの日に全ての死者が墓場からよみがえり、キリストの前で最後の審判を受け、天国に行く者と地獄に行く者に分けられると信じられていたからだ。
だが、カトリック信者の考え方も急速に変化し、カトリックの本山バチカン市国を抱えるローマでも、墓地不足に加え葬儀の簡素化を望むことから火葬を選ぶ市民が急増している。
その増加ぶりはすさまじく、6年前に年間6千件だった火葬件数が、昨年は1万件を超え、今年末には1万2千件台に達すると予想されている。
こうなると遺体焼却施設の能力を超えることとなり、火葬の順番待ちも20日間に及ぶ異常事態になっている。
実際、ローマ北部の市営墓地の火葬場では昨年末から今年初めにかけ、順番を待つひつぎが200棺にも上ったという。
だが、全てが遅いイタリアだけに、早急な解決策は望めない。
世界が狭くなり、北宋の文人、蘇軾(そしょく)の漢詩を元にした幕末の僧、月性の「人間到る処青山(せいざん)(墳墓の地)あり」の言葉が現実になったが、イタリアに関する限り簡単に「ベニスに死す」とか「ローマに死す」などと言えないのである。
坂本鉄男
(5月12日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)