<イタリアへのバカンス>
前回の通信で完全帰国をしたことを書きました。日本に戻り、しばらくぶりの日本の生活をして、やはり美味しい日本食で癒されます。イタリアにも日本の食材は売ってますが高いですし、何でもあるわけではないのが外国だから。何しろランチや夕食の毎日の選択が乏しいですし。
そして、この夏5月下旬から7月上旬までのイタリアへの旅行を企画し始めて、ミラノオーケストラのコンサートが大小あわせて5回もあることがわかり、全て参加して演奏することにしました。オケの仲間も喜んでくれたのが嬉しかった。やはり再伊は、余り時間を空けずに行きたかったからです。
今回の滞在のステイ先は、ミラノの親しい友人が一部屋を貸してくれることになり助かりました。勿論家賃は支払いましたが、一般のアパートより安価です。
*コンサート
今回のコンサートのプログラムは全て、クラッシック曲と映画音楽の二部制でした。特に印象に残ったコンサートについて書いてみました。
今年から、ミラノのアマチュアオーケストラ連盟主催のフェスティバルに参加ということで、まずはプレゼンのコンサートに出演しました。場所は、スフォルツァ城とDuomoを結ぶ道沿いにある「Teatro Grassi」という古い伝統あるホール。なんと控室の壁は、遺跡の壁そのものでした。ミラノにはこういう歴史深いホールが幾つか残っているようです(オケの友人談)。住んでいたときはよくその前を通っておりましたが、こんな立派なホールがあるとは知りませんでした。
次はミラノ郊外のある老人ホームにある、大きな立派な教会でのコンサート。このホームには700人以上の方が入居されているとのことで、ビッグな施設です。 演奏開始前には、最前列に車椅子の観客が20台くらい並び、近い位置で聴いていただけました。つまり観客はホーム在住の方々とその家族と施設関係者です。 大きな教会でしたから、エコーも半端なく、演奏する私たちとしてはやや音が飛びがちでしたが、観客から温かい声援と拍手をいただき、ホールとは異なる反応を感じたのが大きな印象です。
最後は、そのフェスティバルのメイン演奏でした。本来その日、ある合唱グループが最初に演奏する予定でしたが、指揮者の急病で不参加となり、急遽我らは演奏曲目が増えたから少し焦りました。
場所は、ミラノの一等地にある、”Istituto dei ciechi di Milano”という、目の不自由な方の厚生施設内にある立派な広間(Sala Barozzi)。以前私は北イタリア日本人会のコンサートで合唱グループとして歌った場所です。
実はフィレンツェの私の古いイタリア人友人女性が、以前からミラノに私のマンドリン コンサートを聴きに来たいと言っておりましたので、午前中のコンサートのこれが良い機会と招待しました。朝早くの電車で駆けつけてくれ、久しぶりに再会出来これは本当に嬉しかったのです。
午前中のコンサートで流石に観客は少なかったのですが、他に私の友人4人も来てくれ喜んでくれました。フィレンツェ友人(Marisa)は初めてのマンドリンコンサートに感激してくれ、最前列に陣取り私に合図を送ってくれたり、本当に楽しそうでした。このコンサートは、私にとっても思い出に残るものとなりましたね。
<カラブリアへの旅行>
今回ミラノに行く前に、ミラノオーケストラの親しい友人Tatianaから、彼女が近年に毎夏過ごす南のカラブリアで一緒に過ごさないか?との誘いがありました。
私はまだその地は行ったことがないので、5泊6日で一緒に行くことに。彼らはいつも、ミラノから電車でなんと9時間の旅と聞き、一瞬考えましたが当地の様子もよくわからないので、同じ列車を予約して出発したのです。列車は途中から遅れ始め、なんとその列車はその行程が混みあっているため、迂回するとアナウンス。迂回?って何? 結果的に約1時間半近く遅れたのです。もう、Romaからならフライトで日本に着いている時間でしょうか?
Reggio di Calabriaという駅にやっと着きましたが、ここからローカル電車で約45分の場所と聞き!現地からその友人が車で迎えに来てくれたのは幸いでした。駅で約1時間近く待ってましたら、駅のボランティアの職員が列車が遅れたことにより、配置されていたようで、「何か助けることはないか?」と声を掛けられて、南イタリアでこんなサービスがあるのかと驚きました。なんて親切なシステムがあると!
着いてみて驚いたのは、彼らが借りているアパートは現地の人々が暮らす地域にあり、まさに住宅地域。BARとPizzeriaがそれぞれ1件だけ。海岸には1分の距離ですが、店は全くなし。勿論デッキチェアやパラソルの並んだイタリアらしいビーチも見当たらず。近隣の家族が海水浴に、お弁当持参で来るという場所だったのです。
私は、海岸にある素敵なBarやレストランでのアペリティーボや美味しいお料理をいただくことを想像してましたが、それは想像で終わりました(やや落胆)。彼女はベジタリアンに近い食生活で(以前は普通)、痩せたのはそのためだったのです。ご主人も持病があり薬を沢山飲んでおり、つまり彼らとの食生活は私の想像に反するものでした。まあ、仕方はないのですが流石にそれでは、私は痩せてしまうので、話をして近くのスーパーで私の食材を調達しに行くことを提案。
しかし、そのスーパーは徒歩で30~40分の場所で、炎天下を歩いて辿りつく距離。私はビールとワイン、肉や野菜を買い込み、やっと自分の料理が出来一息つきました。来てみないとわからない事情盛沢山で、矢張り日常生活を一緒に過ごしたことがない友人との宿泊旅行は、難しいなものだと痛感。
少し離れた海岸からは、シチリア島が目の前にあり、エトナ火山も臨めてそれはそれで美しい夕暮れも見られました。この旅行には、今回二人ともマンドリンを持参しまして、昼間時間あるときデュオで弾いたり出来たのは楽しかったです。
そして、なんと彼女からこのアパートの大家さんの叔父様の家でマンドリン演奏するという提案があり、ある夕方に出かけました。その叔父様はカメラマンのお仕事を長年されている方で、私たち二人の演奏を大層気に入ってくださり、カメラで撮影までされました。恥ずかしかったですが。最後に彼の賞を取ったドキュメンタリーの本をサイン付きで頂きました。カラブリアで働く女性を扱った写真集で、興味深いものです。記念になります。
<写真 Reggio di Carabria>
<音楽キャンプ参加>
7月上旬から昨年同様、ブレイシア県のある修道院施設での音楽キャンプにまたギターで参加。今回は以前一緒に弾いていたブレイシアのグループの親しい友人二人がこのキャンプに参加していて、滞在の楽しみが増えました。
この施設は、部屋も清潔で高台にあり景色よく食事も美味しく、なんと数種類のワインが沢山並び飲み放題です!流石にイタリアですね(^^♪)
しかし今回ギターのマエストロから渡された課題曲は、私には難しく数日でこなして発表会で演奏なんて難しい! 案の定、本番ではこの曲を演奏するのは苦労することに(汗)。次回はこなれた曲を持参するのが得策かと。
帰りは、一人のブレイシアのメンバーのモニカのご主人が朝、車で迎えに来て私をブレイシアまで送ってもらい、楽でした。電車で来たのは私だけだったので。
この二人は、あと2年後には二人とも年金生活者になるから、是非とも日本に来たいと色々質問攻めに。近年、友人イタリア人からはこの話が殆どで、唯一の日本人の私は人気者?です。若い人と違い、年配のイタリア人は殆ど日本に対する興味はあっても知識は乏しく、行きたいが不安のようです。文化と習慣、食べ物がまず違いますから。 頼りにされ期待される状況です。
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追記:今回ローマからの帰国の便では、搭乗者はほぼイタリア人ばかり。私の席となりにも、Abruzzo出身の新婚カップル。私が気軽に挨拶したからか気楽なおしゃべりをしました。たった5日間の日本滞在だそうで、質問攻め。しかし、かなり的を得た内容で流石ネットを駆使した情報収集をしていると関心。SUICA・PASMO・どこのお寿司が旨いか・爪切りは百均でも売っているか?築地市場への行き方・相撲アトラクションはどこでやってるか?等。日本はゴミ箱がなくて、皆、家に持ち帰っているって本当か?とかも聞かれました。そして彼らと最後に会話したのは、スーツケースの受け取りレーン。彼氏はこう言いました。「ほかの空港で、あんな落ちてくるスーツケースを丁寧に受け止め、揃えることなんて見たことない!なんて凄い親切なんだ!」と。この青年は視点が的を得ていると見ましたね。若いのにこんなこと気づくなんて関心。名前聞きそびれましたが。聞いておけば良かったなあと。