『日伊文化研究63号(2025年春刊行予定)』の原稿募集のお知らせ

公益財団法人日伊協会の学術論文集『日伊文化研究』は、日伊協会会員のみならず、全国の大学、図書館に無料配布され、全国のイタリア研究者にとって、自らの研究成果の発表の場となっています。またイタリアに関する新刊紹介を、専門分野の方々にご紹介 いただいております。

『日伊文化研究』は
・さまざまな視点からひとつのテーマを掘り下げる「特集」、
・研究やエッセイなどの「自由論題」、
・「新刊紹介」の三つを常設の項目とし、
その他に「講演」「追悼」「書評」などの項目を適宜おいています。

本誌は年に1冊のペースで定期刊行されており、第61号が今春発行され、現在、第62号を編集中です。今回募集しますのは、2025年春に刊行予定の第63号となります。以下の要領で原稿を募集しています。

『日伊文化研究』は会員にひらかれた発表の場です。
積極的にご応募ください。

■2025年春発行予定第63号特集「宗教・信仰―――イタリアの聖と俗」のご案内 (2024年5月31日締切)

63号(2025年3月刊行予定)の共通論題は「宗教・信仰―――イタリアの聖と俗」である。他のあらゆる社会についても多かれ少なかれそうであるように、イタリアの歴史と文化を理解する上でも、宗教・信仰というテーマを避けて通ることはできないだろう。社会全体の世俗化が著しく進んだ現代においては、宗教がすべてとは到底いえないし、過大評価も逆に危険だが、しかし善くも悪くも依然として宗教・信仰はイタリアにとって「最も大事な問題のひとつ」という地位を失っていないと思われる。ヴァチカンの存在は象徴的であろう。にもかかわらず、少なくとも日本においては、他のさまざまな諸問題に比べて、イタリアの宗教、信仰、あるいは聖俗構造とその動態について、掘り下げられた、かつ批判的な検討は、まるで注意深く避けられてきたと言わんばかりの状況である。早い話がこれまで『日伊文化研究』の特集テーマに一度も取り上げられたことがなかった。イタリアに多少とも関心を抱く誰しもが、かの地の至るところに建っているカトリック教会や毎日のようにTVや新聞(やスマホ?)に出てくるローマ教皇、また宗教や信仰や聖人に深く関わる芸術・文学・建築・urbanistica・映画・演劇・生活文化・政治・哲学・その他もろもろのニュースに触れないではいられないはずなのに、なぜか理論的ないし実証的な宗教研究の分厚い蓄積があるとはどうもいいがたいようだ。いったい聖母マリアやPadre Pioの存在抜きにイタリア人の心性を語り尽くせるなどということがありうるだろうか? 逆にいえば、われわれの目前にはいまだ未開拓の、潜在的可能性に満ちた沃野が無限に広がっているともいえるのではないだろうか? 今回の特集テーマ「宗教・信仰―――イタリアの聖と俗」は、ひとまずこの分野に目を向けてみることを会員諸氏に促し、分野・専門・スタイルを問わず、広く論考・エッセイを募ってみるところから始めてみようという趣旨で設定される。

UAAR(本文参照)による8/1000税制度の撤廃を訴える広告

身近で陳腐な例をひとつ挙げよう。1990年代前半の話だが、某マリオ(仮名)はil Manifesto紙の愛読者だったし普段から教会のことも散々こきおろしていたから、とうとうfidanzataのフランチェスカ(仮名)と正式つまり法的に結婚することになったときも、「へえ〜、法律婚なんかするんだ〜」という思いはともかくとしても、するにせよ当然純然たる民事婚、つまり市役所だけで法的手続をする(教会なんか行かない)のだとばかり思っていた。でも届いた結婚式の招待状にはソレント近傍の大きな教会が指示されていた。そして旧約聖書の「雅歌」を収めた小さくも美しい詩集のような冊子(地元の書店が彼らのために私的に印刷して刊行したもの)が同封されていた。挙式当日、教会での長い儀式(その手順のなかにはイタリア民法典関係条文の朗読もちゃんと組み込まれている)の間、マリオは始終もじもじしていて後ろから見ていたわれわれのほうがやきもきさせられたが、無事所定の手順をすべて終えるとそのまますぐにナポリ湾が一望できる崖の上のレストランに全員で移り、果てしない祝宴が始まった…

 つまり教会でだけ挙式して市役所には行かないコンコルダート婚だったのである。教会は5日以内に必要な情報を市役所に送付し国家法上の身分登録がなされ教会法上もイタリア民事法上も有効な婚姻が成立するという仕組みである。その後、何らかの争いが生じたら教会裁判所(離婚できない)と普通裁判所(離婚できる)の両方の管轄となりややこしいことになる(専門的議論についても、彼らのその後についてもここでは立ち入らない)。

宗教婚と民事婚の推移(1948-2021)

それでも知り合いのイタリア人たちは確かにかつては例外なく教会で結婚していた。実際、統計で見ても、「宗教婚」(カトリック教会におけるコンコルダート婚がそのほとんどを占める)は、1970年代ぐらいまでは圧倒的多数だった。しかしその後、宗教婚はその絶対値も比率も漸減の一途を辿り、逆に民事婚はじわじわ増加、ついに2019年には民事婚が宗教婚を上回って逆転した(2020年は新型コロナのせいで両方とも激減)。だがここで話は終わらない。実は「イタリア人同士の初婚」に限ると、まだ宗教婚のほうが優勢と統計は語る(とくに半島南部だが全国的にモザイク状である)。今や「イタリアにおける結婚」は「イタリア人(イタリア国籍保有者の意)」だけのものではないのだ。さらに、ヴァルド派、プロテスタント諸派、正教諸派、ユダヤ教、仏教、ヒンズー教、創価学会など政府と政教協約を結んでいるイタリアにおける少数宗派の場合も、上記のようなコンコルダート婚と同工異曲の宗教婚が可能である。話は単純ではない。

全婚姻件数に占める民事婚率(左)とイタリア人同士の初婚に占める民事婚率(右)(県別、2011年)


 思えば結婚は、人為的でもあり自然的でもある。肉体的でもあるしspiritualeでもある。私的契約という面もあるし公の社会制度という面もある。だから世俗性と宗教性の両面がある、とも言いうるとしたら、イタリア方式も意外と婚姻の本質に見合っているのかもしれない。しかし、離婚法や中絶法の成立、事実婚の増加、人工生殖医療の普及、同性カップルの保護、宗教婚の漸減傾向など、イタリアでも婚姻は徐々に人為的、契約的、世俗的になってきているようにも思える。どのように考えるべきか、われわれに投げかけられている問いのひとつといえるだろう。
 ことほどさようにテーマはいくらでもある。本屋に行けば必ずesoterismoのコーナーがあるし、カルト問題はイタリアも無縁ではない。他方で、無神論者・不可知論者・合理主義者同盟(UAAR)という団体もある。イタリアのようにカトリックが圧倒的優位にある国で、果たして信教の自由は十分に保障されているといえるのであろうか。あるいは、8/1000税(俗にいう「教会税」)の動向も興味深い(上記UAARはこの制度の撤廃運動を展開している)。もちろん歴史を遡れば宗教・信仰というテーマは汲めども尽きぬ泉のように際限がない。現代でもたとえば社会福祉や教育の分野に関わるテーマもたくさんあるだろう。環境問題・エコロジーや原発に関するカトリック教会の発言などにも看過しがたいものがある。
 会員諸氏からの寄稿に大いに期待したい。

 キーワード:religiosità, laicità, secolarizzazione, spiritualità

奮ってご投稿ください。 

■自由論題 (2024年5月31日 締切)
【論文】イタリアの歴史、文化、社会、経済あるいは日伊関係に関する優れた論文を募集します。
    デジタル化された原稿で、40字X40行9 ~11枚(図版〔1枚400字見当〕、註を含む)。

【エッセイ】イタリアに関するユニークな切り口の文学的味わいに富んだ作品を募集します。
    デジタル化された原稿で、40字X40行6~ 9枚(図版〔1枚400字見当〕、註を含む)。

■新刊紹介(2024年8月31日 締切)
2023年10月以降に刊行されたものを対象とします。デジタル化された原稿で、1500字以内。

送付先 日伊協会「日伊文化研究事務局」

・投稿は日伊協会会員であることを前提とします。
・連続投稿は原則として受け付けません。
・2021年6月(予定)に開催される編集委員会で審査のうえ、採択(仮採択、条件付き採択を含む)を決定します。
   仮採択、条件付き採択の場合の最終原稿締切は同年9月30日とし、その段階で編集委員会が再閲読します。
   最終原稿はデータおよび打ち出し原稿にて提出していただきます。著者校正は原則として初校までとします。
・原稿料はお支払いしません。なお、原稿はお返ししません。