昔、東京の国立大学で教鞭(きょうべん)をとっていた頃の話である。わが家の夕食にイタリア人の教師と、大学卒業後、大手商社に入社した教え子がやってきた。
話が弾み、商社マンの仕事が話題になった。「カンガルーの輸入です」と商社マン。「え、今なんとおっしゃった。日本の動物園はそんなにカンガルーが好きなのですか」とイタリア人。「ご存じないのですか。ソーセージに混ぜるための肉ですよ」。イタリア人は、日本でソーセージを食べなくなってしまった。
また、食通で有名だった初代のイタリア文化会館館長がこう言って嘆いた。「君にうまいウサギ料理をごちそうしようと思って肉屋に注文したら、ウサギはみんなソーセージ用に使われるので、店にはありませんといわれたよ」
飽食の時代を生きる今の日本人には考えられないだろうが、60年ぐらい前は肉の輸入が制限されていたため、いろいろな肉を加工して食べていた。
食糧難を切り抜けた日本人の食品加工技術は目覚ましかった。タラバガニの漁獲が制限されると、魚肉を使ったカニかまぼこを開発し、世界中に売りさばいた。生まれて一度も本物のタラバガニを食べたことのない多くのイタリア人は、「カニもどき」を本物のカニと思って食べている。
坂本鉄男
(2020年9月1日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)