シリーズ第4回は、6月28日(水)に、茨城大学准教授の藤崎 衛先生に、「ルネサンス教皇列伝」と題してお話いただいた。(40名参加)。
1.ルネサンス教皇の出現
ルネサンスを語るうえで、ローマ教皇の存在を無視するわけにはいかない。彼らはボッティチェッリ、ラファエッロ、ミケランジェロなど名だたる芸術家のパトロンとしてイタリア・ルネサンスの隆盛を支え、都市ローマの修復にも注力したが、他方で贖宥状を売りさばいたり自ら戦場に出向いたりなど、「聖なる教会の長」という教皇像からはかけ離れた挿話でも知られている。
この時期、教皇はなぜかくも世俗的だったのか。そしてなぜ、ルネサンスの担い手たちを厚遇したのか。これらの問いを解くために、中世末期における教皇権の凋落と再編に着目し、そのうえでルネサンス精神と教皇との関係を丹念にみていくところから講演はスタートした。すなわち15世紀前後の教会史の文脈にルネサンス教皇の事績を位置づけることにより、ルネサンス教皇の特質を明らかにすることが試みられた。公会議主義の終焉から宗教改革直前まで(15世紀後半から16世紀初頭まで)に活躍した教皇の中には、ニコラウス5世のように教会改革に尽力した教皇もいるが事績が目立たない。親族優遇人事(ネポティズム)・聖職売買・政治的陰謀・女性問題等々の世俗的な挿話の方が有名で、「よくて軍人、悪ければ暴君」(G・バラクロウ『中世教皇史』)という評価となっている。
またローマを拠点として教皇領の保全に注力し、ユリウス2世のようにそのためには武力抗争も辞さずという教皇がいる。再編された教皇庁において人文主義者(ポッジョ・ブラッチョリーニやプラーティナなど)を盛んに登用。また掌璽院を独立させ、急増する贖宥状と聖職売買からの収入管理にあたらせた。ルネサンスは古典古代を理想とする以上多神教的要素を内在し、厳密なカトリシズムの観点からは異教的で挑戦的なものであったが、ルネサンス教皇はこれを排斥せず現実的な対処をした。ローマ以外の都市における都市貴族=実質的な都市支配者がパトロンとしてルネサンス活動を支援したように、ローマに於いては都市支配者=教皇がルネサンス活動に資金援助をした。また「祖国イタリア」という意識がダンテやマキアヴェリの活動によって形成されて行く中で、教皇は中世的な「普遍的な精神界のリーダー」というよりは「イタリア精神の代表者」、「統一されたイタリアの支配者」という観念の下「ナショナリズム的教皇」となっていく。
2.主なルネサンス教皇列伝
A.パトロンとしての教皇
1)ニコラウス5世 ローマ復興事業(ローマ時代の道路・水道・橋・城壁を修繕。サンタンジェロ城を要塞化。バチカン地区の改修―教皇宮殿及びサン・ピエトロ寺院)、文化事業(東ローマ帝国からも貴重な書籍を蒐集して図書館の拡充。人文学者ポッジョ・ブラッチョリーニを秘書に抜擢・重用(ブラッチョリーニは古典を渉猟し、写本を作成、ルクレティウスなどを見出した。)。また、フラ・アンジェリコ、ゴッツォーリを保護。)
2)ピウス2世
教皇としての業績よりも卓越した人文主義者として知られる。文才にたけ、一時活躍したドイツ宮廷では「桂冠詩人」の称号を与えられ、歴代教皇の中で唯一自作の回顧録を残す。
3)シクストゥス4世
元は教育者だったが「15世紀最大の世俗的教皇」へと転身。システィーナ礼拝堂を建設し、錚々たる画家たち(ボッティチェリ、ギルランダイオ、ペルジーノ、ピントゥリッキオ)に装飾画を依頼。図書館長に人文学者プラーティナを採用、蔵書を増加。政治的には失敗が多くネポティズムで登用した人物を外交官として用い、イタリア政治に介入し、ナポリ、ヴェネツィアと戦争を起こして敗北。建設事業の資金集めに初めて贖宥状を発行した。
B)世俗的な教皇
1)アレクサンデル6世
ルネサンス教皇の世俗的な面を凝縮したような人物で、「もっとも肉的なキリスト」「最も邪悪で最も幸福な教皇」などと称される。ボルジア家の一族を教会政治の中枢に登用する露骨なネポティズムを採るが、他方マキァヴェリは軍事を担った‘息子’チェーザレを「君主論」で絶賛しているし、ミラノと結託したフランス勢を撃退し、サヴォナローラを焚殺し、スペイン・ポルトガルの勢力圏を決める「教皇子午線」を設定するなど、「教皇」というよりは「君主」と呼ぶ方がふさわしい。
2)ユリウス2世
「怒りんぼう(Il Terribile)」と呼ばれた好戦的な教皇。ボローニャ、ヴェネツィア、フランス、スペインなどと交戦。一方で芸術を愛するルネサンス的「君主」でもあった。ラファエロ、ブラマンテを保護し、ミケランジェロにはシスティーナ礼拝堂壁画を委任した。
3)レオ10世
メディチ家出身で、温厚で享楽的な人文主義者(育ちのよいお坊ちゃん)。ラファエロを保護し、ユリウスの事業を継承するも財政破綻。これまで同様贖宥状の販売や聖職売買の乱用で集金を試みるもルターの痛烈な批判を浴び、ルネサンス教皇の時代はここで終わり、対抗宗教改革の時代へと移っていく。
(山田記)
<講師プロフィール>
藤崎 衛(ふじさき まもる)
茨城大学准教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。イタリア政府給費留学生としてローマ大学サピエンツァ校に留学。専門は中世のローマ教皇庁研究。著書に『中世教皇庁の成立と展開』(八坂書房、地中海学会ヘレンド賞)、『ヴァチカン物語』(新潮社、共著)、訳書に『中世教皇史』(八坂書房)、『女教皇ヨハンナ』(三元社)がある。