連続文化セミナー 『古代ローマの皇帝たちとそのイメージ』
第3回 アウグストゥスの時代― 文献史料に見られる理想のローマ皇帝像 ― ご報告

5月15日(金)18:30~20:00、2015年連続文化セミナー 『古代ローマの皇帝たちとそのイメージ』シリーズ第3回が開講され、参加者は25名でした。20150515-2

今回のセミナーから各論に入り、前回は肖像や建築物などの美術品から、アウグストゥス皇帝を中心に皇帝のイメージがいかに形成されたかを坂田道生先生にお話いただきましたが、今回は文献資料からアウグストゥス皇帝のイメージがいかに形成されたかという観点から中川亜希先生にお話いただきました。

①まずロムルスが新しい都ローマを建設し、領土の拡大を通じてイタリア半島、次いで地中海世界での覇権を確立した。

②王政から共和政を経て、前44年カエサルの暗殺後、後継者となったオクタウィアヌスは前27年に元老院からアウグストゥス(尊厳者)という称号を与えられ、帝政へ移行した。

③ローマを表すS.P.Q.R.は、「元老院とローマ国民」を意味し、アウグストゥスはプリンケプス=元老院議員の第一人者(市民の第一人者)/元首という形であくまでも元老院を尊重するかのように見せながら、実際は共和制の公職の兼任により絶大な権力を持つ唯一の支配者となった。

アウグストゥス帝は、アウクトリタス(権威)概念を利用し、『神君アウグストゥスの業績録』の記述、例えば「6度目、および7度目のコンスル職の年に、私は既に内乱を終結し、万人の合意に基づいて全権を掌握していたが、国家を私の権限から元老院およびローマ国民の裁定に委ねた。」や「私は権威において万人に優越していることがあっても、権力に関しては、私と共に公職にある同僚たちより卓越したなにものをも、保持することはない。」という記述にそれが表れている。

④アウグストゥス帝の治世下、属州は大幅に増加し、地中海世界とその周辺地域を支配下に収め、比較的安定した秩序を実現した(パクス・アウグスタ)。スエトニウス『ローマ皇帝伝』の中で自分の業績を青銅版に刻み、自らの霊廟の正面に掲げることを遺言していたがこれは現存せず、小アジアで3つのコピーが発見されている。また『神君アウグストゥスの業績録』標題において「以下は、ローマに置かれた2本の青銅の柱に刻まれた、世界をローマ国民の統治権のもとに服従させた神君アウグストゥスの業績と、国家とローマ国民のために行った支出との写しである。」と戦争での功績のPRに努めている。同時代の文学作品―ウェルギリウス『アエネイス』やオウィディウス『祭暦』においてもローマに境界も期限も限りのない支配が与えられたという意味の表現がみられる。またタキトゥス『年代記』において同時代の元老院議員たちも彼の名誉葬について「彼が征服した民族の名前を掲げて」「凱旋門の下をくぐらせるべきだ」としている。

⑤南仏アルルに4つの徳を刻んだ大理石の盾が残されている。これは、『神君アウグストゥスの業績録』に「勇気と、慈愛と、正義と、神々と祖国に対しての敬虔さの(黄金の)盾を与えた。」とあるもののコピーと考えられる。美徳の人としてのアウグストゥス帝のイメージの形成を図ったものである。

⑥アウグストゥス帝のプロパガンダは、属州においてはアルルの「徳の盾」、アルルやオランジュの劇場(壁にアウグストゥス帝の像が残っている)、また首都ローマにおいてはカエサルが計画したよりも大きく立派に建設されたマルケルス劇場、アウグストゥスの広場(復讐者マルスの神殿―『祭暦』の叙述)、「平和の祭壇(アラ・パキス)」のレリーフ、パンテオン(ディオ・カッシウス『ローマ史』にアグリッパとアウグストゥスの彫像の配置についての記述がある。)など各所にみられ、そのイメージ形成に貢献している。(山田記)

20150515-1
講師紹介:■中川 亜希(なかがわ あき)
東京大学大学院総合文化研究科学術研究員。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。ボローニャ大学歴史(古代史)学科博士課程修了。PhD。立教大学、東京女子大学、清泉女子大学、日本女子大学、立正大学非常勤講師。共著に『古代地中海世界のダイナミズム』(山川出版社)、『ラテン碑文で楽しむ古代ローマ』(研究社)、『ローマ帝国と地中海文明を歩く』(講談社)、『イタリア文化事典』(丸善出版、「宗教の変遷」「ローマの政治と社会」「古代ローマの思想と文学」を担当)。