連続文化講座『ファシズムと芸術』シリーズ第3回は、6月28日(土)に、建築家、大学非常勤講師の北川佳子先生に、「ファシズム期の建築家たち ―ムッソリーニとイタリア合理主義建築家」と題してお話をしていただきました。(18名参加)
ファシズム期のイタリアでは、数多くの公共建築が作られ、また都市も改造されました。ムッソリーニは建築によって国民を教化できると考え、建築の潜在的な力を理解し利用しました。まず、ムッソリーニが熱心に取り組んだローマの都市改造を取り上げられました。コンチリアツィオーネ通り、海の道、帝国の道など、街区を取り壊してのインフラ整備を進め、またローマ・ラ・サピエンツァ大学やE42(1942年に開催が予定された万博―第2次大戦のため中止―に向けて建設、後にEURと呼ばれた)のような新都市開発、また郵便局や駅舎などの公共建築も多く建設されました。「第3のローマ」の偉大性を具現化し、大空間、大柱廊、アーチなどを多用し、装飾を省いた簡素な様式建築を目指しました。
ところで、1920年代は、ヨーロッパの他の国々の近代建築運動に影響を受けた若手建築家たちが「イタリア合理主義」と呼ばれる建築運動を開始した時期でもありましたし、ムッソリーニもこれらの若手建築家を積極的に登用しました。後半では、このイタリア合理主義建築家たちがファシスト体制においてどのように近代運動を進めていったかが紹介されました。グルッポ7の活動や2回にわたるイタリア合理主義建築展、G.テッラーニの作品紹介など。しかし、合理主義建築家の目指すものと体制の求めるものには微妙な相違があり、一方で、政府主催の公共建築設計競技参加によって迎合したデザインになり運動が変容し、E.ベルシコのように合理主義建築家たちが体制に迎合している状況を憂慮し、「イタリア合理主義は死んだ。」との批評も現れました。
<講師プロフィール>
■北川 佳子(きたがわ けいこ)
建築家、大学非常勤講師。早稲田大学大学院博士後期課程単位取得満期退学、博士(工学)。イタリア政府給費生としてミラノ工科大学に留学。早稲田大学で専任助手、建築設計事務所勤務の後、独立。現在は建築設計と並行してイタリア近現代建築史および西洋都市論の研究を行っている。
著書:『イタリア合理主義』(2009年、鹿島出版会)