一昨年が伊東マンショ没後400年であった。宮崎でその顕彰記念祭が開催され、昨年は東京で宮崎日伊協会と公益財団法人日伊協会主催で記念祭を開催した。そして2015年には天正使節が教皇に謁見して430年の記念の年に当たる。今年は何もないと考えていたら、ビッグニュースが飛び込んできた。
以下は各紙に報道されたものを編集したものである。公開については、所有者が許可してくれるかなどの問題があるが、折角の機会だから、借り出してミラノ万博の日本館の目玉展示にできないかということを、日本館のプロデューサーの方に提案している。
また、長崎歴史文化博物館にあるマンショの肖像画との出会いが期待される。実現を目指して皆様の応援をお願いしたい。なおトリブルツィオ財団は、ミラノのスフォルツェスコ城内にあり、レオナルド・ダ・ヴィンチのトリブルツィオ手稿で有名である。
『新聞記事』
九州のキリシタン大名が16世紀後半にローマに派遣した「天正遣欧少年使節」を務めた伊東マンショのものとみられる肖像画が、イタリアで見つかった。調査に当たった北部ミラノのトリブルツィオ財団の担当者がこのほど、財団の学術誌に論文を発表した。
論文をまとめた文書保存・管理担当者のパオラ・ディリコさんによると、肖像画は北部在住の同財団関係者が所有。絵の裏面には「Mansio」などと記されている。ディリコさんは遣欧少年使節の史料の調査や専門家による鑑定などの結果、1585年にマンショらが北部ベネチアを訪問した際、ルネサンス期のイタリア画家ティントレットの息子、ドメニコ・ティントレットが描いたものと判断した。
肖像画のマンショは着物姿ではなく、スペイン風の衣装を着用。制作を受注したのは父と伝えられるが、衣装の特徴や画風などから肖像画はドメニコが仕上げたと論文では結論づけている。
(ローマ=共同)
伊東マンショとみられる肖像画(個人蔵、画像はトリブルツィオ財団提供)。裏面に「D.Mansio Nipote del Re di Figenga Amb(ascitor) e del Re Fra(nces)co Bvgnocingva a sva San(tit) a」と記される ※かっこ内は当時の省略表記を補った文字