坂本鉄男 イタリア便り 前兆あった暗殺劇

 ローマの歴史家スエトニウス(1世紀半ば~2世紀初め)の「ローマ皇帝伝」によれば、ジュリアス・シーザーは紀元前44年3月15日、元老院の入り口で多数の暗殺者に囲まれ、体の23カ所に短刀の傷を受けて死んだ。このとき、暗殺者の中に自分が息子のように目をかけていたブルータスがいるのを見て、「お前もか、せがれよ」と言ったとも伝えられている。

 シーザーが暗殺される前にはいろいろな前兆があったという。例えば、彼の信頼する占い師は、3月15日に注意するように忠告していた。シーザーがその日の朝、「ほら3月15日が来ても何も起こらないではないか」と言うと、占い師は「15日はまだ過ぎておりません」と答えたそうだ。

 また、前日の14日、月桂樹(げっけいじゅ)の枝をくわえたミソサザイが当時、元老院のあったポンペイウス議事堂に飛んでくると、多数の鳥が現れ、ミソサザイを食い殺すのが見られたともいわれた。

 さて、シーザーの暗殺された元老院は、以上でお分かりになったように、古代遺跡「フォロ・ロマーノ」の中にある1900年代に復元された元老院ではなく、そこから北西に1キロばかり離れた現在のアルジェンティーナ広場付近にあったポンペイウス議事堂であった。

坂本鉄男

(2014年3月16日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)