坂本鉄男 イタリア便り コンクラーベの由来

 新しい法王を枢機卿が選ぶ選挙、コンクラーベ(ラテン語で「鍵をかけて」の意味)。語源は史上最長記録となった、13世紀の法王選挙にさかのぼる。
 当時、法王庁の場所はローマではなく、各法王の意思で決められていた。“事件”が起こった当時の法王庁はクレメンス4世の希望で、ローマの北約100キロのビテルボにあった。
 1268年、クレメンス4世の死去に伴い18人の枢機卿(当時は中欧・南欧出身者だけ)がビテルボに集まり選挙を始めたが、フランス派とイタリア派に分かれて1年半たっても決まらず、まさに「根比べ」に突入した。
 このため、食料などを提供していた市民が腹を立て、枢機卿らが集う宮殿に鍵をかけて閉じこめた。これがコンクラーベの語源だ。その後、差し入れる食料も減り、最後には屋根まではがしたという。
 当時の枢機卿は若くて体力があったためか、さらに15カ月後の1271年9月、イタリア北部ピアチェンツァの名家出身で、博学と清廉潔白で知られた修道士が法王に選ばれ、グレゴリウス10世が誕生した。
 この法王は自分が選ばれるまでの経過を知っていたため、法王の死去後20日以内に選挙手続きを開始することや、選ぶ際には外部との接触を断つことなど、後の選出規則の基礎を作ったのである。
坂本鉄男
(3月10日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)