第28回イタリア語スピーチコンテスト優勝者スピーチ

第28回イタリア語スピーチコンテスト優勝者スピーチ
齊藤紀子さん

日本語訳

【ダマスカスで再び出逢ったローマ】

人生は帰る場所を探し続ける長い旅。イタリア語や英語を学ぶことは、心の空白を埋めてくれます。文化的な視野が拡がる外国語の習得に私は癒しを見出しています。

2010年7月、ジェモーナデルフリウリに語学留学しました。快活でユーモアに溢れたナジバは惚れ惚れするようなイタリア語を話すアルジェリア人で、私たちは学生寮のルームメイトでした。彼女のおかげで、レバノン、シリア、チュニジアからきた優秀なアラブ人達に囲まれてひと夏を過ごしました。ある日、実はダマスカスに行くのが夢なのよ、と言うと、「では、ダマスカスでまた会おう!」ということになり、2011年1月5日の夜、私は(シリアの首都)ダマスカスに到着しました。

予約していたホテルは、旧市街地のキリスト教地区バブトゥーマにありました。帝政ローマ時代の白い巨大な大理石のアーチを見あげて、言葉を失いました。ここはどこ?ローマに来ているの?

このアーチ以外にも、ダマスカスには至る所に古代ローマの建造物がありました。また、食べ物やお菓子も、ローマを想起させるものでした。ある朝、散歩をしていると地元の少女がチョコレート入りのコルネットをひとつ、差し出しました。(ローマでも)こんなに美味しいコルネットは食べたことがありませんでした。

ダマスカス国立博物館では、展示物の解説表示がイタリア語で書かれていました。学芸員の女性は、流暢なイタリア語で案内していました。

ダマスカスとローマの間のこんな共通点以上に深く私の心に響いたのは、シリアの人々の優しさとホスピタリティです。ある日、悲劇が起こりました。ちょうどサッカーのW杯が開催されていて、シリアチームが日本チームに負けてしまいました。これはまずい、日本人だと気付かれたらボコボコにされるかもしれない、と思いましたが、その日は夕食の約束がありました。ホテルを出ると、広場を埋め尽くす群衆がシリア国旗を振り回して歩いています。青年の一団が私をみて叫びました。「ヤーバーニーヤ?」日本人か?と。怖くて、言葉が出ませんでした。すると、「おめでとう!日本チームは素晴らしい試合ぶりだったね!」と、笑顔で去って行きました。不思議なことにシリア人は、日本チームに負けたお祝いをしていたのです。シリア人気質がよくわかる出来事でした。

次の日、ホテルに戻ろうとして道に迷ってしまった私。街の人々に道を尋ねますが、誰も英語を話しません。仕方なく歩き出すと、空のコーヒーカップを載せた銀製のトレイを手にした9歳ほどの少年がついてきます。私が行先へと、少年もついてきます。ようやく見慣れた通りに出るまで少年はついてきました。お金を差し出して、「はい、御駄賃」と言うと、少年は嬉しそうににっこりと微笑んで、お金は受け取らずに、今来た道を戻って行きました。女性が独りで道に迷って歩いていたので、ただ守ってくれるために、私の側にいてくれたのです。

それからひと月後に、ダマスカスで戦争が始まりました。あれから7年が経ちましたが今も大勢のシリア人が故郷を追われて国外に避難しています。彼らは、かつて祖国で心豊かに暮らしていた人たちです。彼らの望みはただひとつ、家に帰りたいということです。家を失うことの意味は嫌というほどわかります。私は両親の離婚によって、帰る家を失いました。それ以来ずっと、私は帰る場所を探し続けてきました。シリアの人々は戦争で帰る家を失いました。状況は、確かに異なります。しかし、家を失うことの苦しみに変わりはありません。

私は、外国語を学ぶことで自分の人生を建て直すことができました。好きな仕事にもつきましたし、友人もたくさんできましたし、世界をみるものの見方も養いました。今後もイタリア語を学び続けて、いつの日かシリアの友人たちが帰ってゆく場所をふたたびみつけることができるよう、どんな形でか、役に立ちたいと思います。