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マンドリン通信
<ナターレのコンサート>
ミラノオーケストラでは、12月にナターレコンサートが4回もあり、土日連日もありました。その週末はイタリアの休日で4連休なため、当然ミラノオケのメンバーも家族との休日を優先するため、最初土日のコンサートはほぼ半分のメンバーでの演奏となりました。
このコンサートでも来ないと思っていたMが来て、セコンドトップの席に開演時に座っているのを見、ではトップは?と探すと最後列に座ってました。。。Mより遅れて到着したから。この感覚がいつも理解出来ません。指揮者が気の毒ですが常に皆は自分優先です。私は最近後ろで弾くようにしてます。なるべくメンバーの若手に前列で弾いて貰いたいからです。
開演時間には観客は満席となり、時期的に華やかな服装で(どんなに年齢を重ねてもこの着飾る心意気というか、キラキラ・派手派手感はさすがイタリア!ピチピチの大きく襟の開いたセクシー感溢れる着こなしで立派です)。期待と熱気溢れる中、コンサートが開始しました。曲が終わるたびに大拍手とBravi!!!の連呼で盛り上がり、エンディング曲終了後、最大の大拍手とほぼ観客全員がスタンディングオベーションで「アンコール!」と満面の笑みでした。
演奏終了後は、この時期恒例のパネットーネ、パンドーロとソフトドリンク、パニーノとスプマンテが振る舞われ、お客さんとスタッフ皆さんの満足した笑顔に気持ちもお腹も一杯になりました。
私達はスペシャリストではないアマチュアで、こういうローカルなコンサートでお客様が気楽に音楽を楽しむために来ているので、(上手いとか下手とか、表現力や音楽センスとかではなく)こんなにも喜んで貰えるこういう世界もあるのだなと思いました。私達もすっかり、演奏した満足感を得られその笑顔に癒され、達成感あるローカルコンサートでした。
夜のこういう地域コンサートは日本にはないですね。夜、大人が楽しむ習慣が無いですし。開演21:00、終演22:30位にも関わらず、父親と小学生連れ、夫婦連れ以外に女性友人グループ、幼児連れ家族、などバラエティーに富んだ観客構成でした。
<イタリアの温泉とスキーリゾート>
まず、ミラノ中央駅から普通電車でティラーノ(Tirano)まで2.5h、駅前から連結している長距離バスで約50分でボルミオに到着。もう、雪山です。ボルミオ駅からはタクシーを電話で呼び、約10分位(€15)でバンニ・ベッキ(Bagni Vecchi)に到着。バンニ・ヌオービ(Bagni Nuovi)という別の施設あるので注意。
バンニ・ベッキは、山の中にポツンとあるホテルと複数の温泉施設を備えた自然色溢れた所です。勿論露天風呂も色々あります。古い温泉施設なので、何度も改装しておりとても迷路のように複雑な通路で、迷ってしまいます。
まずは腹ごしらえ。ビュッフェもあり別料金ですが、皆バスローブ姿で入浴合間に食事が出来ます。サラダ・生ハム・チーズ・数種類のスープ・フォカッチャ・デザート・ヨーグルト・フルーツ・ワイン・ジュースと盛り沢山でした。開いている時間内なら何回でも利用可能です。
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陽が落ちたので、やや寒くなり室内のお風呂に移動。熱くはないですが丁度良い湯加減で他の外国人は「熱い!」と言ってました。それからサウナへ。42度位と62度と2種類あり、私は当然熱い方へ。誰も居らず、暫くすると10人位のガイド付きのグループが来て、ガイドはまず雪をサウナの石へ放り込み、アロマを振りかけバスタオルを頭上でくるくると熱い空気を廻して、アロマの香りを部屋中に漂わせアロマを3種類変えてました。お蔭でただ汗かくだけでなく、たまたま私もその趣向を楽しむことが出来ました。
外には色々な露天風呂があるのですが、何せ雪があるのでバスローブ姿でビーチサンダルで移動するにはちょっと難しいので止め、洞窟風呂や洞窟にある温泉の温度での自然サウナも体験して終了することにしました。
その夜はティラーノのB&Bに宿泊し、明くる日はボルミオのスキー場に行き、ゴンドラとロープウェイを乗り継ぎ3000mの山頂へ。360度の雪山のパノラマは絶景でした。好天で風もなく雪も結構あり、スキーとスケードボードを楽しむ人々を見て、思わず日本で若い時毎冬八方尾根や苗場、北海道などでスキーをしていたことを思い出し、滑りたくなりました。山頂にあるレストランで昼食を取りながら展望を楽しみました。
次回来るときは前日に宿泊して、明くる日に朝からボルミオ温泉で一日ゆっくり自然たっぷりの中で温泉に浸かって過ごしたいと思いました。お気に入りの場所になりました。
<カゼルタでのナターレ>
-朗読会のナポリ民謡-
最初は火の炊かれた電灯のない中庭で、詩の朗読のような語りがあり、その合間で演奏するといった進行が続きました。中盤以降に友人の説明から理解出来ました。古くから語り継がれるイタリアの寓話を古いナポリ弁で語る朗読会でした。ですから、即興演奏です。こういうケースは多いので、彼らは慣れています。
参加者および朗読者は20代の若者から年配者に至るまで様々で、各自が選んだ寓話の原稿を手にジェスチャータップリに語り、薄暗い中で友人曰くmagico(魔術的)な雰囲気で皆真剣に耳を傾けて聴いているその空間は不思議な世界でした。若い人たちがこういう趣向で昔話を語ることに、日本人の私としては日本には有り得ない世界を見たと思いました。日本にも寓話を語る世界はありますが大抵は老齢の人々です。
-巻き寿司講座実施-
明くる日は、息子さんの奥さんに以前私に「巻き寿司」の作り方を教えてほしいと頼まれ、「巻き寿司講座」をしました。一番大変なのが、寿司飯を作ることです。イタリアはリゾットしかないですから、白飯を炊くということが分からないので、ネットで写真付きのレシピにイタリア語の説明を追記し、ご飯と寿司酢の分量を表にして説明しました。なんと1kのお米をお鍋で炊きました。
やがて夕食会の始まる頃に彼女の妹さんと友人、お兄さんの彼女とか来始め、彼女達も作りたいというので指導しましたが、まあ自己流で作り始めるので寿司飯は押しつぶすし具は多く入れ過ぎるので切腹してしまうし、海苔の廻りはご飯粒だらけといった様でもう何を言っても難しいので出来上がってから私が綺麗に整えて、何とか綺麗に盛り付けました。彼らの両親たちは、特に女性は殆ど手を付けず(イタリア料理しか食べない)、父親達と若者達はもう喜んで食べまくってました。無事お米が上手く炊けて、ホッと一安心でした。
-教会ミサでの伴奏-
そして、翌日にはクリスマスイブの夜、友人のギターと私のマンドリンで0時からの教会のミサで歌われる歌の伴奏をするために、友人と7曲をアレンジと練習にほぼ1日費やしました。私は初めてなのでコンサートは異なる歌の伴奏を考えつつクリスマスの夜の晩餐後すぐ教会に向かいました。
イブの夜のミサの参加は初めてでした。約1時間半程の時間でした。イエス降誕なので籠にそっとイエスの人形が置かれました。司祭の説教と訪れた人々が代わる代わるに語り、その合間で合唱がありイントロを交えた伴奏を無事終えました。
演奏しながら思ったのは、コンサートと異なり歌詞と曲の繊細なハーモニーが私の演奏に不思議な気持ちが注がれました。アレンジを友人と考えたとき、友人が「歌が主なのであくまでそれを支えるハーモニーがふさわしい」と言ったことが正しいと感じました。マンドリンもギターも各1本なのでアンプに繋げ、フォルテもピアノもないので、あくまで繋げる音を出来るだけ繊細に柔らかい音色にすることを心がけました。
幸いオーケストラで普段演奏しているのと、ソロのレッスンをしているので、自然に音符の音の流れでギターとどう演奏するのかは分かりました。終了後上手く行ったことがわかり、友人と歌の担当者に褒められました。そして参列者の何人かの人が私達の所に私達の演奏が素晴らしかったことを伝えに来てくれ、暖かい気持ちになりました。
教会のボランティアの方々からも絶賛され、明くる日の朝のミサでも是非私に演奏して欲しいと言われとても光栄でした。この教会にはカゼルタに来る度に友人とミサに参加していましたので、何人かのカゼルタの方々とは顔なじみでしたが、今回のようにマンドリンでミサでの演奏により、私の存在を理解してくれたことはとても意味ある出来事だったと思います。
-ナポリ-
カゼルタからミラノに帰る日に、たまたまマンドリンの友人がご主人のナポリの家に前日帰って来ているので、寄りました。ナポリは何度か行ってますが、危ないといつも言われて殆ど観光したことがありませんでした。ほんの数時間ですが、新しく出来たナポリ中央駅から地下鉄(なんと地下4階で、千代田線みたいですね)に乗り、一駅にある彼らの家に行き、中心地を散策して勿論、水牛のモッツアレラとピッツアを頂きました。安くてびっくりです。このピッツエリアは地元の人が行くようでした。表にはピッツア生地で作ったプレゼーピオがありました。ナポリらしいですね。
そしてケーブルカーで高台に行き、ナポリとは思えないお洒落でシックな町並みでした。クラスが上の人々が住んでるそうです。ヴェスビオ火山と海が見渡せて、良い天気ではありませんでしたが、ナポリの風景を上から眺めて満足して列車に乗って帰り、私のナターレバカンスは終了しました。次回はもう少しゆっくりしたいと思いました。彼らの家は広いので安心して泊まれます。
<大晦日のハイキング>
今年の大晦日は日曜で天気が良い予報だったので、山の友人といつものカンツォ(Canzo)にハイキングに行きました。気温はまあまあでしたが、山頂へのコースには、友人曰く1週間前にはなかった雪がかなり積もっており、二人ともアイゼンは持参しなかったので、どうしようかと考えました。でも、他の登山に来ていたイタリア人とかの話しを参考に、天気も良く気温も高くなってきたので、雪が凍っていない明るい斜面を選んで山頂まで登りました。
山頂のほぼ300度の大パノラマは、雪を頂いた山々と空の青さと雲の見せる自然のキャンパスで、風もなく静かな贅沢な時間と澄み切った空気を沢山いただきました。さすがに雪の上でランチは止めて、近くにある山小屋に行き、持参したお弁当と温かいミネストローネスープを注文して体を温めることが出来ました。
雲の動きが速く、また冬季は陽が暮れるのが早いのと、雪の下山は時間がかかるので名残惜しいかったですが、ランチの後は直ぐに出発することにしました。もう青い空はかなり雲に覆われていて、気温も下がって来ました。
雪の下り斜面は滑りながら下りるといった風で、崖に滑り落ちない様、また石場では転んで怪我をしないようにストックを慎重に使いながらの、疲れる下山でした。2度程危ないシーンがありましたが、幸い擦り傷程度で済み山道入口に着いたときはホッとしました。慣れている友人も靴がかなり滑っていたので、疲れたと言っていました。
その夜は大晦日なので、一昨日におでんを仕込んでおいたので、その友人を誘ってビールと一緒に頂きました。イタリアでおでんを作ることは以前は思っていませんでしたがなんとかそれなりの食材はあるので、ハイキングあとの温かいおでんは友人も喜んでくれました。
そして、TVのカウントダウンが始まると、私のアパートの角では恒例の爆竹と花火が派手に打ち上げられ、大音響のお祭り騒ぎで(これも近くの中国人達が勝手に打ち上げていて、誰も苦情など言わない)、発砲ワインで乾杯して楽しい祝宴を終了しました。
その友人の話では、以前フィレンツェに住んでいた時、2000年のミレニアムでは信じられない大騒ぎで(日本ではそこまで騒がない)、なんとその年度が変わる瞬間に皆窓からビール瓶やシャンパン瓶を道路にバンバン投げ、当然怪我人や死亡者もあったそうで、明くる日はフィレンツェの街中の道路が、ガラス瓶の破片だらけになり、最も呆れて驚いた事件だったそうです。どこかの国でトマトを投げ合うお祭りとか見たことがありますが、ガラス瓶を窓から投げ落とすなど考えられないことですね。ぞっとしました。