連続文化セミナー 『イタリアの祝祭』
              第2回 都市フィレンツェの聖史劇 — 奇蹟と見世物 — のご報告

シリーズ第2回は、4月15日(金)に早稲田大学の杉山博昭先生に「フィレンツェの聖史劇」のお話をしていただいた。(参加約30名)

ルネサンス期のフィレンツェは、西洋美術史上のひとつの「中心」として長らく注目を集めてきた。一方、その「中心」に寄り添うように開催されたひとつの行事は、これまでほとんど顧みられなかった。その行事とは「聖書と芝居」、「奇跡と舞台効果」、「キリスト教と異教」が坩堝のように絡み合う祝祭である。聖堂で上演された、現在「聖史劇」と呼ばれているその祝祭は、当時の大工・ブリキ工・金細工師・画家・毛織物商など多くの市民が知恵をしぼり、腕をふるう現場でもあった。聖史劇は信徒に、「マリアはいかに美しいのか」、「星々はいかに運行するのか」、「聖霊はいかに恩寵を施すのか」、「イエスはいかに天へ昇るのか」、そして「天使はいかに空を飛ぶのか」などの問題を投げかけたのである。全ヨーロッパから集った見物客が、それらの演出をいかに捉えたのか、当時の図像資料を参照しながら考察された。

◎聖史劇の定義
14世紀から16世紀のイタリア各地で、平信徒で構成される兄弟会が聖書・聖人伝に範をとったテクストにより、街路・広場・聖堂内などで、典礼暦上の祝祭日の行事や貴賓歓待時の出し物として演じられた。聖史劇以前は王の入場式や典礼劇、あるいは大道芸人や吟遊詩人のパフォーマンスがあったが、これらの要素が流れ込んで聖史劇の形となった。15世紀フィレンツェがひとつのピークである。この後古典劇へと変貌していくが、むしろルネサンスと活版印刷術の普及からローマ喜劇やギリシャ悲劇が栄える。

◎聖史劇の機能
宗教的機能(見て聞く「聖書」)、教育的機能(身振りと言葉遣いの模範)、見世物的機能(娯楽もしくは通過儀礼)、衒示的機能(高揚と誇示、興奮と見せびらかし)、政治的機能(統治の正統性の承認)

◎台本
テクストの形式は、極めてシンプルな詩形(セリフは韻文「八行詩節」で構成)。媒介者として、開幕と閉幕を見物客に告げる天使役が登場するのが特徴。最初に物語のあらすじをすべて説明する。最後に物語の意味を分かりやすく解釈する。「他者」として、搾取される小作人、忌避される病人、迫害されるユダヤ人が登場する。決してユートピア的な物語ではない。

◎演者
少年たちが女装して演じる。衣装は贅をこらしたもので金泥で塗装された「光輪」、染めたクジャクやダチョウの羽で作られた「翼」など。人間以外に木製人形や絵画など多様なメディウムが登場人物上で交差する。

◎舞台
街路を練り歩く行列(聖遺物行列、仮装騎馬行列『マギのフェスタ』、山車行列『洗礼者ヨハネのフェスタ』)あるいは野外の同時並列舞台(広場、聖堂回廊の中庭、処刑場)あるいは聖堂内の高架舞台(内陣障壁)。宙づりあり、ロケット花火あり、噴水あり。

スーズダリ主教アブラハムの手記(1439年)によると『これは素晴らしくも、恐ろしい見世物なのである。そもそも筆舌に尽くしがたいほどの内容であったため、これ以上書くことはできないのである。アーメン。』と、称賛と困惑がないまぜとなった感情の感想を述べている。視覚のみならず触覚・嗅覚・聴覚への強い刺激。信仰のみならず娯楽・性愛のもとに飽和する感情。――15世紀のフィレンツェに咲いた奇跡といえる。杉山先生によると聖史劇を専門に研究している研究者は杉山先生を含めて世界に4人しかおられないそうで、とにかく記録が少ないこのスぺクタクルを当時の図像資料から再現していく困難さは大変なものと推測された。多数の図像資料の作品データリストもいただいたが、この報告では講演のエッセンスともいうべき図像資料の参照の部分をお伝えできないのは残念である。(山田記)

講師紹介:■杉山 博昭(すぎやま ひろあき)
早稲田大学高等研究所助教。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了(人間・環境学博士)。国際基督教大学、追手門学院大学非常勤講師。単著に『ルネサンスの聖史劇』(中央公論新社・第5回表象文化論学会奨励賞)、共著に『「聖書」と「神話」の象徴図鑑』(ナツメ社)など