こんにちは、日伊協会の押場です。
少し時間が経ってしまいましたが、10月3日の日伊協会特別セミナーの報告をさせていただきます。
トゥッチ先生が選ばれたテーマは、ずばり「イタリア」です。とても大きなテーマですが、その副題に「まだ見ぬ国を求めて」とあります。「まだ見ぬ国」とはどういうことなのでしょうか。
少しイタリア語を見ておきましょう。リヴィオ先生のつけた原語の副題は「 Alla scoperta del paese che non c’è 」ですね。「alla scoperta di… 」は「~を発見するために」という意味。何を発見するのかといえば「存在しない国 il paese che non c’è 」というわけです。この「存在しない国」のことを、ぼくは「まだ見ぬ国」と訳しましたのですが、イタリアのことを「まだ見ぬ国」とか「存在しない国」と言われても、ピンと来ないのではないでしょうか。
イタリアという国は確かに存在します。けれど、そのイタリアは果たして「ひとつの国」と言えるのか。そんな問題意識は、19世紀の終わりにイタリア王国が独立を果たした時からのものです。イタリア史を勉強された方でしたら、イタリア王国が独立した時のマッシモ・ダゼッリョの言葉を思い出すのではないでしょうか。「イタリアという国は出来たが、イタリア人はまだ出来ていない」。イタリアがひとつの国であるのなら、そこにいるはずのイタリア国民は、まだどこにもいない。このトリノの政治家は、そう嘆いていたのです。
実は、20世紀になっても状況はそれほど変わりません。トゥッチ先生がセミナーで紹介してくれたのは、イタリアを代表する女優ソフィア・ローレンがアメリカで受けたインタビューでした。そこで「あなたはイタリア人ですよね?」と念を押されたローレンは、「とんでもない。私はナポリ人よ」答えるのです。するとインタビュアーが驚いて「え?どこが違うのですか?」と尋ね返します。「全然違うわよ」と大笑いするローレンの姿が印象的でしたが、この感覚はイタリアの人以外には少しわかりづらいですよね。
実はイタリアの人々は、イタリア国民である前に、ナポリ人であったり、ローマ人であったり、ミラノ人であったりします。日本でいえば、自分は日本人である前に江戸っ子だとか、大阪人だとか、東北人だとか言うようなものかもしれませんが、イタリアの場合、そこにもっと歴史があるわけですね。その歴史をたどってくれたのが今回のセミナーだったというわけです。
ぼくたちがまず、注意を向けるように促されたのが、副題にもあった「パエーゼ paese 」という言葉でした。現在のイタリア語で「il bel paese (美しいパエーゼ)」と言えばイタリアのこと。「パエーゼ」とは「国」の意味ですね。ところが同時に、「tornare al paese(故郷に帰る)」とか、「La esta del paese (故郷の祭り)」という表現があるように、「パエーゼ」は町や村のような比較的小規模の居住区を示すものでもあります。つまり「故郷」ですね。
トゥッチ先生のセミナーでは、このパエーゼという言葉を、まだイタリアという統一国家が生まれるずっと以前の、14世紀のダンテやペトラルカにまで遡ります。そこにもなお、意味にズレがあることを確認すると、その起源を求めて歴史をさらに遡ってゆくわけです。ぼくたちが案内されたのは、多様で美しい自然を誇るイタリア半島の歴史のドラマ。それはギリシャの植民地であった時代から、古代ローマ帝国の時代、そして教会の時代、中世都市国家の時代から、近代を経て、ヨーロッパ共同体の一員となった現在まで、イタリアとイタリア人を求める長い歴史の旅でもあります。
そんな歴史の旅の終わりに、ぼくたちが知ることなったのは、とてもひとつにまとめることはできないけれど、それでも確かにイタリアという国があり、そこにはイタリア人が暮らしているということ。お互いに違いを認めながら、想像力(ファンタジア)に溢れ、寛容の精神を持ちながらも、個人主義的でアナーキー、芸術的な感性を持って、美的な感覚には優れている人々。
そんなイタリアの人々に共通するものを、リヴィオ先生は「l’arte di arrangiarsi 」と呼ばれていましたね。直訳すれば、「うまく折り合いをつけて切り抜ける術」ということになるでしょうか。この表現は、しばしば否定的に「ずる賢く切り抜ける」という意味でも使われるのですが、良いも悪いもあわせて、ともかくうまい方向に物事をアレンジしてゆく能力のことなのです。
昨今、どうも世界中がキナ臭くなっきていますが、そんな問題山積みの状態だからこそ、このイタリア的な《 L’ARTE DI ARRANGIARSI 》 が今求められているのかもしれない。そんな思いを強くさせられたセミナーでした。
ただひとつだけ残念なことは、あまりにも雄大なスケールのためでしょうか、少々時間が足らなかったこと。お集まりいただいた方々からも、もっと聞いていたかったというお声をいただいております。
リヴィオ先生には、ぜひ近いうちに、お話の続きを話していただければと思います。
では、また近いうちにお会いしましょう。
日伊協会イタリア語講座主任講師
押場 靖志