今年度のお便りのフレームになっている14世紀のフレスコ画『Allegoria del Buon Governo(善政の寓意)』。そこには、シエナ共和国発展のために必要なさまざまな美徳が描かれていました。西洋文明の伝統にのっとって宗教的、哲学的な徳が多く描かれる中、ひときわ大きな存在感を示していたのが世俗的な徳ともいえるpaceの擬人化された姿です。当時のシエナでは、不要な戦争は町の繁栄を脅かすものであると捉えられていました。前回のお便りでも触れたイタリアの諺「La pace e la concordia hanno edificate tutte le città(平和と調和がすべての町を築いた)」の通り、ロレンツェッティのフレスコ画は「平和あってこそ真の繁栄がある」と、paceの重要性を強調していました。
平和を意味するpaceには、たくさんの成句や使い方があります。例えば、少し昔に使われていた「Pace e bene」や「La pace sia con voi」という別れの挨拶。もともとは「平穏無事でありますように」という意味がありました。現在のイタリアで日常的な挨拶としては使われませんが、宗教関係者の間で交わされる挨拶や若者がふざけて大げさにする挨拶として耳にすることがあります。一方、ケンカ中によく聞こえてくるのは「Lasciami in pace!(もう放っておいてよ!)」、「Santa pace! (もうたくさんだ!)」といった表現。また、「Dammi mille yen e siamo pace(千円くれたらそれでチャラだ)」といったように、トランプなどのゲームの引き分けや、友達同士の貸し借りがない状態のことを表したりもします。
現在、私たち日本人はポップなピースサインに馴染みがあるだけでなく、世界にもまれな平和主義の法のもとに暮らしています。悲惨な戦争を経て制定された日本国憲法は、平和的生存権の保障と恒久平和主義を基本原理としています。昨今大きな注目を集めている憲法9条改正の動きは、私たちと平和との関係を大きく変える恐れのある由々しき一大事。平和の大切さを重ねて説いてきた東西の古人も、「Santa pace!」と嘆いているに違いありません。
ダンテ・アリギエーリ・シエナ
ヴァンジンネケン 玲