全体主義国家における美術のイメージについて、ナポレオンやヒットラーが国家を強大に見せる美学をもっていたのに対して、イタリアにおいてもこうした表現は存在するがそれが全てではなかったこと、またナチス・ドイツにおいて『頽廃芸術展』のような形でモダニズムは排斥されたが、ファシスト・イタリアにおいてはモダニズムは排斥されていないことが示されました。
そもそもファシズム政権下において、ナチズム政権下に示されたような統一的な美術の規範、明確な“ファシズムの”美術の規範は存在しません。20世紀前半のヨーロッパとその中のイタリアには様々な美術の動きが次々と生まれました。暴力的で前衛的だった未来派の運動(ウンベルト・ボッチョーニ、ジャコモ・バッラ、アレッサンドロ・ブルスケッティ、エンリコ・プランポリーニなど)、マルゲリータ・サルファッティの先導したノヴェチェント派の伝統回帰、デ・キリコに始まった形而上絵画、フランスのアプストラクシオン・クレアシオンの流れを汲む抽象芸術グループなど。エルネスト・トレッカーを中心に雑誌『コッレンテ』が創刊され、反ファシズムの芸術家に影響を与えるような動きもみられました。
そこにはただ、さまざまな貌を同時に持つ“ファシズム期の”美術が存在するのみです。にもかかわらず、敗北のなかに第二次世界大戦が終結をみると、未来派による美術はあたかも“ファシズムの”美術であったかのように扱われ、人々から目を背けられました。ふたたび光のもとで語られるようになるまで、未来派の美術とその作家たちは、長い年月を闇のなかですごすのです。最後につけくわえる形で、第二次世界大戦後のイタリアにおいて新たな形で生まれなおす「未来派の記憶」について、ルーチョ・フォンターナの第9回ミラノ・トリエンナーレ(1951年)で展示された「ネオンのアラベスク」を中心に触れられました。
参加者からの活発な質疑応答がなされ、充実したひと時を過ごせました。講師と参加者の方々に御礼申し上げます。(山田 記)
<講師プロフィール>
■巖谷 睦月(いわや むつき)
東京藝術大学専門研究員、大学非常勤講師。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了、博士(美術)。東京造形大学などで西洋美術史の講義を担当。専門はイタリア、とくにルーチョ・フォンターナを中心とする20世紀の美術。