連続文化講座『ファシズムと芸術』シリーズ第2回は、5月24日(土)に、東京工芸大学の西村安弘先生に、「ファシズムと映画 ― チネチッタ撮影所物語」と題してお話をしていただきました。(24名参加)
ベニート・ムッソリーニは、1936年には「映画は最強の武器だ。」と語り、映画をファシズムのプロパガンダの武器として活用する意欲を見せたが、その数年後には、「映画とは何か?」と問われ、「私にとって、映画は二つの範疇に分けられる。観客がどのように終わるのかと自問する映画と、同じ観客がいつ終わるのかと自問する映画である。」といかにも凡庸な答えしかしなかった。1922年から1943年までのファシスト政権下におけるムッソリーニの映画政策は、プロパガンダと娯楽の両面を含んだ一貫性に欠けるものだったといえる。
しかし、後になって振り返ってみると、1935年の映画実験センター(現在の国立映画学校)及び1937年のチネチッタ撮影所の開設は、人材育成とインフラ整備の点から、戦後のネオレアリズモに始まるイタリア映画の黄金時代を招来した大きな原動力となったことが分かる。
まず、フェデリコ・フェッリーニの『インテルビスタ』(1987)やアレッサンドロ・ブラゼッティ監督がチネチッタで撮影した『ファビオラ』(1947)及び『鉄の王冠』(1940)を見た。次に「ポピュリスト喜劇(否定的なニュアンスはない)」の代表例としてマリオ・カメリーニ監督の『百貨店』(1939)により当時のイタリア人の生活ぶりを見た。