連続文化セミナー 「ファシズムと芸術」スタート

「ファシズムの時代」と聞くと、どのようなイメージをもたれますでしょうか。ムッソリーニ率いるファシストたちがイタリアの政権を担った1922年から42年の20年間の「ファシズムの時代」は、ナショナリズムの高揚、全体主義と呼ばれた政治体制、秘密警察の存在など、とても恐ろしい時代であったように感じられます。

 一方、この時代の芸術各分野では、ヨーロッパを中心に改革や実験が続いており、それは現代にも影響する当時のさまざまな社会的変化とつながりをもっています。イタリアの場合はファシズムとの関わり合いが決して見過ごせず、この政治的・文化的状況のなかでイタリアの芸術家たちは挑戦を試みていました。

 今回の連続文化セミナーでは、このファシズムの時代とその芸術を取り上げることとなりました。この時代を生きた芸術家たちとその作品について、建築、都市計画、映画、美術など多方面の分野から、それぞれを専門とする講師に幅広く、わかりやすくお話ししていただきます。

 古代ローマ、ルネサンス、バロックの芸術でおなじみのイタリアですが、今回の連続セミナーは、20世紀の前半、特にこの困難な時代の芸術の世界を体系的に通覧し、それを通じてファシズムの実像と虚像に迫ろうとする試みのまたとない機会となるでしょう。

第1回「ファシズムの時代、人々の日常と文化、そして建築」ご報告
シリーズ第1回は、2月22日(土)に、早稲田大学の奥田 耕一郎先生に、「ファシズムの時代、人々の日常と文化、そして建築」と題してお話をしていただきました。(22名参加)今回は、はじめに連続セミナー全体の概説として建築史を中心とした視点から当時のヨーロッパとイタリアの文化的な状況をファシズムとの関係のなかでお話しいただきました。

まずイタリアの「モダニズム」建築はジュゼッペ・テッラーニらが「イタリア合理主義建築運動(MIAR)」を牽引して始まりました。
ムッソリーニ、そしてファシズムという体制は、芸術と積極的にかかわりあいを持ち、なかでもとりわけて注力されたもののひとつが建築でしたから、ファシズム時代にはモダニズム建築の中に伝統的な様式も取り込みながら、計画都市リットリアや1942年ローマ万国博覧会会場として設定されたEURの諸建築のほかイタリアの各都市で数多くの公共建築が建設されました。独裁的・抑圧的な性格を持つ当時の体制が、自らの作り上げようとする国家のあり方を内外に示しうるものとして建築を重視したのはもちろんであります。

一方でそれは近代という社会のなかで実際的な役割を担う建築として建てられたものでもありました。その代表的な例がファシズム期のイタリアで市民の余暇活動のためにつくられたレクリエーション施設であります。「ドーポラヴォーロ」と呼ばれたその余暇活動は、ファシズム体制が市民生活の一部となるよう熱心に普及を進めたもので、その専用の施設が設けられることもありました。今となっては利用されていながらもそれが何であったのかを知る人は減り、またひっそりと放置されてもいるこのマイナーな建築もファシズムの時代の建築や文化の一側面であります。

 結局のところ、ドーポラボーロは「工場の規律に労働者を調和させることを試みるものであり、ファシスト党からすれば余暇を通じた労働者の組織化の手段としてこれに注目していた」といってよいでしょう。やはりイタリアは多様性の国であり、単純化はできませんが、「ファシズムの本当の恐ろしさ、薄気味悪さを示しているのはどの建築なのか」を知ることにより、「ファシズムとは何なのか」の問いに肉薄していくことができるのではないかということでした。