新春早々「浮気」の話で恐縮だが、酒のさかなにでもしてください。
浮気とは、難しく言えば「婚外性交渉」のことで、洋の東西を問わず人類が誕生して以来、繰り返されてきた。わが国も同様で、「源氏物語」では、主人公の光源氏が宮廷の数々の女性との“浮気”に身をやつした。
かつて浮気の禁止には、宗教がその役割を果たした。キリスト教では浮気は「十戒」で禁じる「姦淫(かんいん)」に含まれ、地獄に落とされる罪悪の一つだ。わが国では儒教が「道徳に反する」と説いた。しかし、人間の本性のすべてを宗教や道徳の力だけで封じることはできない。この結果、禁を犯した悲劇が生まれ、数々の文学作品の題材にもなってきた。< さて、最近のように宗教や昔の道徳観が浮気封じの力を失うと、かつては浮気に付随していた罪悪感も失われてしまったかのようだ。 昨秋、ミラノのある団体が、浮気中であることを認めた会員からアンケートをとったところ、76%の男女が「浮気に罪悪感を抱いていない」と答えたという驚くべき結果が出た。 浮気をしてもせめて「後ろめたさ」、つまり罪悪感くらいは持ってほしいと思うのは時代遅れだろうか。もちろん浮気は良くないことだが…。 坂本鉄男 (1月5日『産経新聞』外信コラム「イタリア便り」より、許可を得て転載)